私がスピリチュアルの世界に入ったわけ ーその3ー 

こんにちは、真樹です。

早めにと言いながら、なんだかんだで1ヶ月。。。

昨日開催したスピリチュアル寺子屋の参加者さんから、「早く次を書いて下さい!」との声を頂いてしまいました。

誰か時計早回しにしてません??

さて、続きです。

仕事の関係で大阪南部に数ヶ月滞在した事がありました。

神社仏閣巡りが大好きな私は、ここぞとばかりに週末ごとにあっちのお寺、こっちの神社と行きまくりました。

熊野三山や吉野・大峰山も訪れる機会に恵まれ、その美しい山々を眺めながら、なんだか懐かしい感じがしたり。修行場ということもあって、山伏姿の方に何度も出会い、その度に「いいな~。私も山伏やりたいなあ。」って思ったり。。。まだスピリチュアルを本格的に学ぶ前だったのですが、何となく「きっと山伏やってたんだろうな」とうっすら感じていました。

そんな時、高野山にも詣でる機会がありました。初回は町石道と呼ばれる参詣道をほぼ6時間歩いて登っての参拝。大変ではあったのですが、素晴らしい紅葉の中で、色々なことを思索できた貴重な時間。急勾配を登り、眼前に現れた朱塗りの大門は本当に感動的で、歩いてよかったと心から感じました。

ですが、着いた時点でほぼ夕暮れ・・・。なので、後日観光のためにまた出直しました。

特急やケーブルカーなどを乗り継いで、再び高野山へ。朱塗りの根本大塔や金剛峯寺などを拝観し、有名な武将や企業や有名人のお墓をミーハーな気持ちで眺めながら(だって、豊臣秀吉の墓とか、織田信長の墓とかあるんだもの)奥の院へ。

灯籠がある奥の院の建物で手をあわせてから、横にある木の扉をガラリと開けると、なんだか変な感じがしたけれども、そのまま裏手に回り御廟の前に・・・立つと涙が後から後から溢れて止まらないw

悲しいわけでもなく、自分が泣いてるのだけど自分の意志で泣いてるようでもない、何だかわからないのに、涙がこぼれる。その時脳裏に浮かんでいたのは、空海さんの死を嘆き悲しむ誰かの姿。私の過去生かもしれませんが、誰なのかまではよく分かりませんでした。

ともかくも、そのままだと非常に怪しいのでwハンカチで顔を隠しながらちょっと隅っこに移動して、ほとぼりが覚めるのを待ってから、御廟を後にしました。

高野山もそうですが、京都の東寺も私が大好きな場所。立体曼荼羅を見るたびに、何か過去生の私も一緒に見ているようで、とても落ち着くような、馴染んだ場所にいるような気がします。お寺でご縁を感じるのは、やはり真言宗のところが多く、不思議と比叡山には(しょっちゅうお山は目にしているのですが)ご縁がなく、過去世で真言密教僧だったのかなあとも思っています。

過去生って、こんな風に自分の今のご縁や趣味趣向に、影響を与えていたりもするのです。

その後、私にとってその後の運命を決める重要な出会いがありました。

が、例によってこの話はまた次回!

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